(下)

 

 

インド人のおばちゃんたちが、微笑みながら何かを言う。

「わかんないよ、何言ってるの?」

と笑いながらお嬢ちゃんが日本語でしゃべる。

お互いまったく意味などわからないだろうに、なぜかおばちゃんがインド風のきれいな紙細工を渡し、お嬢ちゃんはお礼におりがみで鶴を折っていた。

人は言葉なんかわからなくても、何かが伝いあうものなんだろうか。

この子はきっと俺がなくしてしまったいろんなものを持っているんだろうな。

 

13時、元の地点に戻って解散になった。

何か言ったり手を振ったりしながら別れていく人々。

お嬢ちゃんと俺も手を振る。

こんな所のツアーなんてどんなものか、と思っていたが、思ったよりずっと良かった。

みんなこのお嬢ちゃんのおかげだな。

何しろ普段俺に寄ってくるのはむさくるしいおっさんばかりだ。

まあ、こんな場所で妙齢のご婦人が俺と話したりすれば悪い噂になるから仕方ないのだが。

 

昼を回っているので、お嬢ちゃんをレストランに誘った。

ここは船の中でドイツ人に教えてもらったのだ。

マトンビリヤーニが美味だとのこと。

ビリヤーニって言うのはインド風のピラフだが、干しブドウやナッツ類が入っていたりしてことのほかうまい。

勿論インドの食べ物だからマサラ味(カレースパイスの味のことをこんな風に言う)なのだが普通のカレーほど辛くないし、ここのレストランはバナナの葉に包んで蒸した、ちょっとちまきのような形状なのだ。

頬をリスのように膨らましてもぐもぐした後

「わア、おいしい」

なんて言ってくれる子がいると、こちらもおごりがいがあるというもの。

あいつ、本当に幸せ者だ。

 

噂をすれば影ということわざがあるが、奴は俺の思考をキャッチする特殊能力でも持っているのだろうか。

それとも単に俺達が入り口すぐの席に陣取っていたから見えただけなのだろうか。

それにしても

「ピノコーっ」

というその叫びはあまりにタイミングが良すぎる。

二人して振り向くと、人目をはばからず道を走り寄ってきた男は俺を目にするなり今度は

「キリコ貴様!」

とトーンを上げた。

 

「貴様、の続きは何だ」

と言いつつ、俺の胸元を掴んだ手をはたき落とし、椅子に座りなおす。

この不遜な男も、お嬢ちゃんが腕にぶら下がって

「やめて!」

と怒ればちょっとはおとなしくなるらしい。

だが今度は矛先を変えて

「ピノコ、お前どこに行っていたんだ。帰ったらいなかったから、あちこち探したんだぞ」

と言い出す。

後ろから蹴りを入れてやろうか、この男。

自分が出かけておいて、なんて言い草だ。

「だったらお嬢ちゃんを1人にするんじゃない。日本ほど治安のいい国なんてないんだ。俺みたいな1人者の知り合いがちょっとデートに誘うくらいならまだいいが、変な輩に絡まれでもしたらどうするつもりだ。大体お前さんの知り合いなんて物騒な奴が多いんだろう」

と言うと目を三角にして睨まれたが、本当の事を言って何が悪い。

本当に危なかったかもしれないのだ。

お嬢ちゃんの前では言えないが。

 

今度こそ吊るし上げられるかな、と半ば覚悟したので、男が

「そりゃあ悪かった。ピノコ、お前にも悪いことをしたな。日本のほうも落ち着いたようだし、そろそろ帰ろうかと思うんだが、どうだい?」

と言うのを意外に思う。

お嬢ちゃんもそう思ったらしく

「先生、どうしたの? おなか減った?」

と心配している。

「もご。ピ、ピノコ、もうい、そんなに一口に詰め込ま・・・く、苦。・・・俺も何か注文するから、それは自分で食べなさい」

ビリヤーニを口にうんとこさ詰め込まれた男は何とか体勢を立て直すと、マトンビリヤーニを頼んだ。

俺たちのと一緒にたくさん作ったのだろうか、案外すぐに出てきたそれを食べながら、お嬢ちゃんの話を聞いている。

途中で前後の脈絡がなくなったりあちこちに脱線する話に、同じことを見聞きしたはずの俺でも混乱しそうになるが、奴は大方のところがわかったようだ。

食べ終わると

「土産でも見に行くか」

と俺たちを促す。

やはりなんとなくこいつらしくない。

 

Government Emporium」と書かれた店は、政府公認の土産店だ。

相場より高いが質はいいし、値札がついているのがありがたい、外国人向けの店。

そんな中にお嬢ちゃんを解き放つと、奴は

「もしかしてピノコの奴、変な輩に絡まれていたのか」

と静かに訊ねた。

無言でうなずくと

「さっきは悪かった。知り合いの話、あれは俺をおびき寄せる嘘だったんだ。わなだと気づいて大急ぎで帰るとピノコがいなくて。わなから逃れる時、お前の子供は今頃どうしているかと捨て台詞を吐かれたから最悪の予想もせずにいられなかった」

と視線をお嬢ちゃんに当てたまま話し出した。

「あの子の命の責任は俺にある。そういう体の構造をした子なんだ。以前ちょっとトンズラしないといけなかった時、その方が安全だろうと置いていったら俺の後を追ってきて死に掛けた。言い聞かせても無鉄砲なところのある子だから連れてきた方が安全かと思ったけど、やっぱりそうでもなかったようだ。世話をかけた」

とはじめて俺を見て軽く目を伏せる。

頭を下げる代わりなのだろう。

 

「どうやらあの子と2人暮らしらしいが、お前さんみたいな仕事じゃ困ることも多いんじゃないか」

と聞くと

「困っているよ。俺は海外を飛び回ることが多いし、あの子を預けられる知り合いもいないし。大体俺みたいな人間が人間的な家庭を考えるほうが滑稽だとお前さんも思うだろう。けれど俺はピノコを得てしまった。だからこのまま折り合いを見つけるほかないさ」

とため息をつく。

無意識にかタバコを出し、禁煙なのに気づいてまたしまいながら

「最悪のことはいつも考えている。本当は養女の口を考えたこともあったけれど、彼女が帰ってきてしまったんだ。2度目はもう俺が手放せなかった」

とつぶやく。

 

その気持ちはわかる。

それは時に憧れても、自分には絶対手に入らないとあきらめているものだ。

俺も今まで何人かの女に誘われたことがある。

その度に身をもぎ離してきたけれど、心の奥底でそれでも俺を見つけて俺だけが必要だと言ってもらいたかったような気もする。

彼女はきっとそれをしたのだ。

そして男は覚悟を決めたのだ。

幸せな日々が続くと、それが消えた時に余計につらい。

俺はそれが怖かった。

だがこの男はそれよりももっと大きなものを掴んだのだろう。

 

「悪いけど、ちょっとピノコといてくれないか。そこのツアー会社で帰りのチケットの予約を入れてくるから」

そう言って男が去ると、かわりにみやげ物を選んでいたお嬢ちゃんがやってきた。

きんきらきんのネクタイと、カタカリダンス柄のネクタイを持っていて

「先生にプレゼント、どっちが似合うと思う?」

と真顔で聞く。

 

両方ともいまいちじゃないかな。

とは言わず、無難に

「奴はリボンタイしか合わないんじゃないかな」

と言うと

「たまにはネクタイ位すればいいのに。何をお土産にしよう」

とため息をついている。

「今は奴と一緒なんだから、自分のためのお土産を買えば?」

と言っても

「新婚旅行なんだから、だんな様に買ってあげたいんだから」

と大真面目だ。

奴も苦労するな。

 

「新婚なんだったらおそろいの枕カバーなんてどうだ? そこにきれいな細工の奴があるよ」

と言うと大喜びで選び出す。

俺の中に多分もう嫉妬はなかった。

俺は選ばなかったからちょっと寂しい思いをするけど、奴は選んだゆえのリスクと覚悟があるのだ。

大体俺は他人とずっと一緒にいるなんて到底無理なんだから、うらやむなんてお門違いも甚だしい。

隣の芝は青く見えるもの。

俺は俺のあゆみで行けばいい。

 

奴が戻ってきた頃にはお嬢ちゃんの会計も終わっていた。

こいつ、あの枕カバーを見たらぶっ飛ぶだろうか。

でもカタカリダンス柄のネクタイよりはましなはず。

 

ネクタイで思い出したので

「俺、昨晩ここの名物のカタカリダンスを見たけど、なかなか良かったぜ。今からなら土産を置いてシャワーを浴びても間に合うから、暇なら行ってみろよ。きっと新婚旅行のいい思い出になるぜ」

と言って別れた。

俺はもう十分歩いたし、人といた。

部屋に帰って荷造りして、時間までちょっと昼寝でもしよう。

今日はしゃべりすぎてしまったから、しばらくは誰とも話さなくていい気分。

普段話さないから、あごが疲れた。

 

まさか奴も同じルートの当日券をゲットしたとは思っていなかったので、その時の俺はのんきだった。

インドから日本までのフライトは長い。

まさかその間、2人に話しかけられ続けるとはつゆ知らず、俺はのんびり宿を目指したのだった。

 

 

 

「象を求めて」は、これで終わりです。

長いことお付き合いくださり、ありがとうございました。

ひとこと感想をいただけると、嬉しいです。

 





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