カタカリダンス
ジェッティーの中ではあんなに眠かったのに、そこでの睡眠が気持ちよかったからか、それとも室内の虫の気配が気になったせいか、ホテルの部屋ではあまり眠れなかった。
といっても、そんなのよくある話なのでなんでもない。
5時ごろには起き出してシャワーを浴び、外を散策する。
そんな早朝でも働き者のチャイ屋の一人二人はいるもので、彼の分もおごることにして早朝の1杯を楽しむ。
チャイ屋も朝から幸先いいと機嫌がいい。
思いついてもっと南のクイロン行きの方法を聞いてみたが、プライベートボートで行くか、夜発のジェッティーくらいしかないらしい。
だったら無理していくこともないか。
コタヤム行きは7時半からあるというので、又乗って帰ることにする。
俺は何をやっているんだろうな、と思うが、昨日の俺にはそれが必要だったのだ。
宿でもう一度シャワーを浴びなおし、7時チェックアウト。
今度の舟は96人乗りで、昨日の様なベンチ席ではなく、一人ひとりの形になったプラスチックの席だ。
俺の足でちょうどいいのだから、普通のインド人では足がつかないのではないだろうか。
何故こんなに椅子の位置が高いのだろう。
端に売店が並んでいたのでオレンジジュースを買った。
オレンジジュースといってもジューサーで絞るのではない。
ミキサーに皮を剥いたオレンジと水を入れてがーっと回すのだ。
コップにはシロップと氷を入れておき、荒い茶こしを使ってジュースを注ぐ。
百パーセントものではないが、これがうまい。
そういえば以前飲んだぶどうジュースもこんな作りかたをしていたな。
細長いカヌーをこいでいる人がいる。
陸では荷役をする象がいる。
俺が乗っているのと同じくらいの大きさの船を、長い竿を使って屋根から一人で操る男。
エンジンも付いているようだが、そんなの使う気がないようだ。
燃料の節約の為だろうか。
ヨーロッパ人の女性客が二人乗ってきたら、急に舟が華やかになった。
7時半発。
朝もやの光る水面。
太陽に向かって走るので、まぶしい。
岸にはさまざまなヤシノキとカラフルな花々が茂っていて、ここは本当に南国なんだな、と思う。
まだホテイアオイはほとんどない。
急に視界が開けた。
河口なのだろうか、それともいくつかの川の合流点ででもあるのだろうか。
広い、広い水の塊。
船が急にスピードを上げた。
ヤシノキの中に家が建っている。
水を汲んでいる人、体を洗っている人、洗濯している人。
その向こうに水田らしきものが見え隠れしている。
しばらく行くと細い川に入ったらしく、急に視界が狭まった。
水鳥が無数にいる。
ホテイアオイが薄紫のヒヤシンスに似た花をつけている。
夜だった昨日はまったく気づかなかった景色の数々。
9時半着。
とりあえず駅に行こうと、リクシャーが通りそうな広い道を探す。
ここら辺なら通るかな、という道に出たら、ちょうど市バスがやってきた。
隣にいた人が
「バススタンドに行くよ」
と教えてくれたので、乗る。
ものすごく混んでいたが、前の席に座っていた人が
「リュックを下ろしなさい。膝に乗せてあげるよ」
と俺の荷物を引き取ってくれた。
車掌の所までは行けそうになかったが、隣に1ルピー渡してしばらくすると、切符とお釣りが戻ってきた。
周りの人々がリレーしてくれたのだ。
嬉しい。
10分ほどでバススタンドに着き、コーチン行きのバスの時間を聞くと10時50分発だそうだ。
遅い朝食としゃれ込むことにして、そこらを歩く。
近くのレストランにサダドゥサーというのがあったのでそれを頼んだら、グリーンピースのカレーとしょっぱいパンケーキみたいな変なローティが出てきた。
あんまりおいしくないけどこんなものなのかな、と思いながら食べていたが、急に吐き気に襲われてトイレに駆け込む。
げーげー吐きながら、これは食べていたもののせいなのか、それとも単に俺の腹に合わなかったせいなのかと、しばし悩む。
とりあえず、あれは残そう。
バススタンドに戻ると腹の虫が鳴ったので、屋台でバナナのてんぷらとティーを買う。
バナナに噛み付くと、中心部になにやら白いもの。
これはなんだ。
頭をひねっていると屋台の兄ちゃんが
「ライス」
と教えてくれた。
ありがとう。
一瞬だけだが「蛆虫」と思って固まってしまった。
いや、おいしかったです。
コーチン行きのバスはここ、と教わっていた場所に陣取っていたが、ちょっと心配になってまわりに聞いたら場所が移動になっていた。
さっき放送で流れたそうだが、気がつかなかった。
以前は人に聞くのは自己管理できてないようで恥ずかしいと感じていたが、このごろはすぐ人に聞いてしまう。
ここら辺は物怖じしないあいつに影響を受けたのかもしれない。
ようやくバスに落ち着き、外を見る余裕もできた。
長距離バスは振動がすごくて本も読めない。
その代わり、考える時間だけはたっぷりある。
けれど、暑さに身を任せて頭を空っぽにするのも好きだ。
そう。
インドのいいところは、この暑さだ。
どんな時でも忘れられないようなことまですっかり消え去る瞬間がある。
頭を空っぽにして、中を砂でこすってきれいに磨きたてて。
そうしてバスを降りると新しい町が待っている。
1時、コーチン着。
ここはかなりモダンな港町だ。
あちこちを運河が通り、石造りのしゃれた店が軒を連ねている。
水兵の制服を着た軍人も多い。
浜辺ではチャイニースフィッシングネットという昔ながらの中国式漁法を見せる場所があり、シナゴーグというユダヤ人街やキリスト教の教会もある。
そして有名なのがカタカリダンス。
ホテルを決め、少々昼寝。
午後の数時間は恐ろしい暑さなので、どうせ店も閉まっているだろう。
夕方起き出し、飛行機のチケットが取れるか試してみる。
明日の夜発のカルカッタ経由タイ行きはキャンセル待ちしかないらしい。
とりあえずキャンセル待ちのリストに入れてもらい、早目の夕食をとりに行く。
今晩はカタカリダンスを観に行くつもりだ。
これはインド4大舞踊のひとつで、ここコーチンの名物なのだ。
食後、リクシャーに乗ってカタカリダンスの会場に行く。
道が込み入っているので歩いてでは無理、と聞いたが、確かに住宅街の路地の中にあった。
小さくてかわいい家の屋上にこれまた小さなステージが載っている。
ステージの前には折りたたみイスが100位。
俺が着いたのは6時半だったが、もう役者の化粧が始まっていた。
ステージ上の簡易椅子に座った胸毛もじゃもじゃのただのおっさんが、化粧を載せるとどんどん美男に変わっていく。
その変身振りを見ると、世の女性が化粧に必死になる訳がわかる。
いや、天晴な変身ぶりだ。
男は緑の固まりになった。
ケララでは緑は善の色だ。
ジャングルを意味するからなのだそうだ。
デーモンは赤や黄色になるらしい。
その上にエリマキトカゲのようなものをつけて完成なのだが、それでもハンサムに見えるのは不思議だ。
そして服装は、派手の一言。
その後シンバル奏者兼司会らしい男の話が20分ほど続いた後ダンスに入った。
このダンスも、しばらくは振りや物語の説明が入る。
目つきやほんのちょっとした指の動きに一つずつ意味があるのが興味深い。
それから見た踊りはラーマーヤナ(ヒンドゥーの神話)の一節らしい。
あらすじは、象がコブラに噛まれて死ぬとデーモンが現れて暴れるが、ケララの神が倒す、というもの。
たった30分ほどの踊りだったが、静かな振りから決闘シーンまであり、見応えがあって面白かった。
赤いデーモンと緑の善の対決は幅広の刀に反射する光も相まってとても美しい。
その後観客からの質問の時間になったが、聞きたがりの数人の独壇場になったので外に出た。
行きの倍くらいを吹っかけるリクシャーばかりだったので、そのまま歩くことにする。
こういう路地は、行きは目的地が見つからないから大変だが、帰りは大きな道に出さえすればいいのだから簡単だ。
夜道でも、インドの治安は悪くない。
とりあえず、大都会でなければ。
ベッドに勢いよく寝転がる。
次はどの国から依頼が来るかわからないから、とぐずぐずしていたが、一度ちゃんと日本に帰ろう。
キャンセル待ち、うまくいくといいのだが。
あと1日、明日は何をしようかな。